違い

さて、ために小説について考えるとき、どうしても一つの壁に突き当たる。それは、あるトリックを思いついたので、ということで書いた小説も一種のために小説だということだ。ここの違いをきっちりとして決めておかないと、ために小説という言葉はそう簡単に使えない。ということで考えてみた。
あるトリックを思いつく。それを生かすために、種々、設定を工夫して、伏線を張る。場合によっては状況設定や登場人物に特異性を持たせる。それで、こういったものが解決の段階になって、きれいに一本の線として繋がる。あれは、こういう意味で、この設定はこのためだったのか、というように。この線がきれいであればあるほど、ために小説として完成度が高い。具体的な作品で言うと『ハサミ男』や『生ける屍の死』など。ただ一つのことのために、他を犠牲にしてストイックに組み立てる。イメージとしてはこんな感じか。
一方、思いついたトリックを使うために、書くとどうしても解決編だけが浮いてしまう。きれいな線にならず、解決編だけが他から浮いているように感じてしまう。トリック中心主義とでも言えばいいのだろうか。具体的な作品でいうと法月さんの『犯罪ホロスコープ』の牡羊座の話とか有栖川さんの「月宮殿殺人事件」(だったっけな?)あたりかな。
もちろん、あくまでも個人的な感想です。