『魍魎の匣』

今年の1月1日に「魍魎の匣」の映画を見に行った。原作を読んだのはもう10年近く前だと思う。おぼろげな記憶で映画を見たのだが見ているうちに少しずつ話を思い出した。でもどうも肝心なところが思い出せない。よしそれならもう一度、読もうということで読み始めたのだがやっと終わった。いや〜、長かった。
で、約10年ぶりに読んだんだが面白かった。初めて読んだときはここまで面白いと思わなかった。それだけ読み手として成長したのだろうか。なこともないか。
詳しい感想はまぁ、いいとして今回読んでいて強く感じたのは京極夏彦という人は緻密なプロットを組み立ててから作品を書く人なんだということだ。いや、もちろん誰でもプロットは練るだろう。でも、きっちり細部まで練りきってから書く人、あるいはある程度で見切り発車する人、いろいろいると思う。僕はどちらかというと核になる部分ができれば見切り発車で書き始めるタイプ。だからきっちりとプロットを考えてから書き始める人というのは尊敬に値すると思う。とても真似できない。
少し感想らしきことも書いておこう。京極堂の謎解きなんだが結局、核になる部分は京極堂のみが知りうる情報だった。それをもとにもたらされた情報を組み立てて謎解きをしていく。探偵しか知り得ない情報によって事件が解決されるというのはフェア、アンフェアでいうとぎりぎりどっちだろうな、という感じか。この作品に限っていうとこれまたぎりぎりなところなんだが京極夏彦が書いた『魍魎の匣』における京極堂の謎解きだからフェアでもアンフェアでもどっちでもいいや、と思わせるのはさすがだ。何とか年内に『狂骨の夢』を読もうかと思う。