違和感

先日、魍魎の匣を見てちょっとした違和感を覚えた。それでこの違和感の原因は何だろうかと考えてみた。ということで以下には映画、小説両方のネタバレないしはそれに近いことが書かれています。
小説だと事件が起こってそれを中心にいろいろな人物がそれぞれ巻き込まれたり巻き込んだりする。その合間に京極堂の所へ行き相談したり話を聞いたりする。で、なんだかんだで最終的には拝み屋の格好をした京極堂が担ぎ出されて事件を終わらせる。まぁ、大まかに言ってこんな所だろうか。それで、このシリーズのおもしろさというか魅力はいろんなことが起こるけどそれに対する京極堂の対応だと思う。相談を受ければ応じるがしかし決して自ら事件に関わろうとはしない。でもなんだかんだで最後は出てくる。この出てくるまでに時間がかかるからこそ京極堂京極堂なんだろう。でも映画だとそうはいかない。小説と同じようにしたくとも2時間ちょっとだ。座っているうちに終わってしまう。だから結構、あっさりと腰を上げる。事件に関わってくる。これがたぶん違和感の原因だったなんだろう、と思う。