雨降り

雨が降るといっていたので薄いジャンパーで出勤。少し寒いがそれでもまぁ、一時期のことを考えると暖かくなったもんだ。そういえば来年度の雇用契約の書類が今日、来た。これでとりあえずまた一年間、安心だ。
さて、昨日だったか、一昨日だったかにふと考えた。何をかっていうと本格とは何かといういつものテーマだ。まぁ、ちょうど読み終わった『銀の檻を溶かして』が関係してると言えば言えなくもない。
さて、この間、間つなぎで読んでいた『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』の巻末対談を読んでいたのだがそこに殊能さんが『ハサミ男』についてあれは「ために小説だ」と言われていたということが書かれていた。「ために小説」というのは・・・、と、今、正確な記述を確認しようと本を取ってきて該当箇所を探したのだが見つからない。なので僕の記憶にしたがって書く。
こういうトリックを思いついた。じゃあそのためにはこういう複線が必要だ。じゃあその複線のためにはこういう舞台、こういう登場人物が必要だ。そのためには・・・。
というのが「ために小説」だそうだ。で、これこそが本格かどうかの分かれ目じゃないかと思う。ただしこれはトリック先行の作品のこではない。このあたり難しいのだが「○○というトリック」というよりは「○○というプロット」ないしは「○○という謎と解決」のために、というべきか。
こういった「○○のために」登場人物を造形して舞台を考え伏線を張り解決へと導く。謎とその解決のためにただただストイックに物語構築していく、これこそが本格推理小説なんじゃないだろうか。なので逆に言えば謎とその解決は存在するがしかし、そのために構築されたのではなく例えば、魅力的なキャラクターを生かすための謎であり解決である。あるいは、キャラを生かすために舞台や他の登場人物がいる。これはやはりキャラ小説であって本格推理小説ではないんじゃないだろうか。
一見、解決不能な謎を考え出しつつもそれをわざわざ自らの手で崩壊させる。推理小説というのはどうしてこんなにも不毛なのだろうかと前から不思議だったのだがこの不毛さも謎と解決のためなのだと考えれば納得がいく、気がする。この件に関してはもう少し考えなくてはならないだろうなぁ〜。