素朴な疑問

久しぶりにゆっくりと本屋をまわる。しかも大きいところ。ハードカバーからノベルス、文庫と見て回りついでに専門書とかも見る。ただ給料日前というのと今月は出費が多かったのと、そして来週には京極さんの新刊を買うってのとで何も買わず。まぁ、まだ読みかけの本、2冊あるしな。
さて、散々遊んで帰ってくると二階堂さんの日記で本格評論の終焉が更新されていた。で、まぁ、どっちでもいい話なんだが僕はこれまでに更新される度にそれをネタとしてここで扱ってきた。ただ二階堂さんの書いた内容を批判してはいない、はずだ。僕がここで取り上げ批判したのは議論の方法。何度か書いたが共通認識にもなっていない自分一人の思いこみを他者に押しつけそれを基準として批判をするのは議論ではないというのが僕の主張だ。で、今回の(8)を読んでやっとわかった。二階堂さんがやっていたのは議論ではなかった。この本はあの本とその本を踏まえた上でこうでああであり、こっちの本はそれとそれを読んだ上で云々、という言わばオタク的な自慢会だったようだ。少なくとも単なるミステリー好きの僕にはそう思えてとてもじゃないがついていけない。
あとひとつ、これは単なる疑問なんだが、探偵小説研究会の若手は評論家としての能力を著しく欠いているというのが今回の文章の要点だろう。じゃあ、そういった人々を探偵小説研究会の一員として認めた人間にも責任があるのは当然だろう。で、それが誰かというと、そんなこと素人の僕は知らないが、二階堂さんが「(笠井潔氏を失った)探偵小説研究会という組織は機能不全を起こし、暴走して、本格ミステリー界に少なからぬ被害を及ぼしている。」とまで言うのだからやはり笠井潔という人にも責任があるのだろう。なのになぜ笠井批判をしないんだろうか?各個人の能力不足は当然、その人の責任だが能力不足の人間を組織に組み込んだ、つまりその組織に必要な人間だと認めたその人物は批判されるというのが世の常である。そして実際に認めたのが他の人間であっても、こういった場合に非難されるのは組織のトップだ。
まぁ、どっちにしてもあと一回でそれも終わりだ。最後を楽しみに待っていよう。