議論

さくさくいきましょう〜。
さて二階堂さんなんだが『x』を本格として評価していないものに法月綸太郎さんをカウントしている。さてこの根拠は何だろうか?まず考えられるのは『x』に投票していないからと言うことだろう。しかし投票していないからと言って本格として評価していないとは言い切れない『x』を本格として評価しているがそれよりもおもしろい作品があったからそっちに投票したということだって充分あり得る。そこで次の証拠としてあげられるのがこのサイト。
本格ミステリ作家クラブ
ここの第6回「本格ミステリ大賞」全選評において法月さんは『x』に票を入れなかった理由を書かれている。それを引用すると
「『容疑者Xの献身』は、P≠NP問題の扱いがすべっているせいで、数学ミステリの大傑作になりそこねたのが残念。この問題をメインに据えれば、現代本格のフロンティアを切り開けたはずなのに。」
これを読めばわかるように法月さんが『x』を評価しないのは本格じゃないからではなく「P≠NP問題の扱いがすべっているせい」に他ならない。これに関しては講演会において同様の発言があった。また上記発言の最後に「現代本格のフロンティアを切り開けたはずなのに。」とあるこれは「P≠NP問題」をうまく扱っていればまた、物語の中心に据えていれば「現代本格のフロンティアを切り開けたはずなのに。」という意味だろう。つまり法月氏にとって『x』は現代本格のフロンティアを切り開くことはできなかったが現代本格作品であるということになりはしないだろうか。実際の所、この問題は至極簡単に片が付く。法月氏に『x』は本格ですか?と聞けばいい。もう一つ。今回の論考で「本格愛」という言葉が出てきた。これに関しては後述するとして日記の一文を引用。
「本格愛」を意識しない作家から生まれた優秀な「本格」が存在するのなら、ぜひとも実名を挙げてほしいところだ。少なくとも、私にはそんな本の心当たりはない。」
これなんだが、僕は知っている。法月氏がその人だ。数年前の関ミス連の総会だったと思う。法月氏他、数名の作家による対談の時、誰かが「本格ミステリーが滅んだらどうする?」と聞かれた。これに対して法月氏は「いっこうにかまわない。誰もが本格ミステリーに見向きもしなくなってもエラリー・クイーンの研究を続ける」という趣旨の発言をされた。法月氏に関しては講演会、著作その他、色々と調べたり考えているのでわかるのだが、氏が持っているのは「本格愛」ではなく「エラリーー・クイーン愛」である。しかしこれまた簡単に片付く問題で法月氏に「本格愛、持ってますか?」と聞けばいい。
つまり二階堂さんがやっていることは聞けばすぐにわかることを勝手に想像して勝手に“自分に都合のいいように”解釈し、そして勝手に怒っているだけ。
長くなってしまったので以下、次回。最後まで読めば疑問はすべて解消するので途中で反論はしないでください。
なんて言葉、いうぐらいなら最初から議論をしないか完成するまで自分の論を公表しなければいい、と思う。