ギャップ

夕食後、横になっていると気がつくと9時過ぎ。そこで起きずに横になる続けていると11時過ぎまで寝てしまった。やはり疲れ気味なのか?それとも日中、四条で遊んでいたので疲れたのか?
それはさておき二階堂氏が日記を更新されているようなので読みにいく。いくつか気になる点があってので今日もネタにさせていただきます。
揚げ足取りじゃないんだが「自分の発言について、まるで責任を持つという姿勢がない点」という一文があった。僕の記憶が正しければ二階堂氏は自身のHPの掲示板(だったと思う)で日記における誤字を指摘されたことに対して日記はあくまでも時間の空いたときに書いているものであってある程度の誤字は大目に見て欲しいと言う内容のことを書かれていた。お忙しい方なのでそれもしかたがないだろう。でも、言論の場で自分の立場を主張して他者を非難する場合、それが例え片手までかいているインターネット上の日記であっても自身の発言には責任を持つべき、つまり誤字なんかは可能な限り気をつけるべきなんじゃないかと思う。それはさておき、二階堂氏の発言にはどうしても違和感を感じる。で、その違和感がなんなのか考えてみた。あくまでも僕の私見だが二階堂氏は評論家というものを重視しすぎなんじゃないだろうか。本格推理小説が隆盛を極めるためには評論家も重要でありにもかかわらずこの現状。一体どういうことだということで怒ってるんじゃないだろうか。でも実際、本を買う我々読者にとって評論家ってそんなに重要だろうか?先に書くと、決してこれは評論家批判じゃない。ただ僕の経験からして「○○という評論家が絶賛しているから△△を買おう」と思ったことはない。例えばこのミスで1位だから買おうというのはあるかも知れない。で、これは突き詰めれば評論家が評価したから1位だから評論家を基準に購入しているとなるかも知れない。でも、あくまでもこちらの意識はこのミス1位であって特定の評論家が云々はない。加えていうなら評論家で名前を知っている人はほとんどいない。笠井さんと法月さんぐらいか。と、結局、ミステリーを読む一般読者にとってミステリー評論家ってのは−この発言に悪意はまったくないが−いてもいなくてもどっちでもいい存在だ。少なくとも僕にとっては。というところにギャップを感じるから首をかしげながら読むのかな〜。