試しに

『退職刑事2』を最後一話を残して読むのをやめる。だって全部読んだら次のやつを買いに行きたくなるから。だからあと一話残っているという状況で『探偵は眠らない』を読み始める。結局どっちも都筑さんの作品に違いはないんだが。こっちをある程度読んでごたごたが片付いたらまた新しく買いに行こう。しかし今年は年末のベスト3迷うな。ただし今年読んだ本部門だけど。今年発売された本はたぶんグリフィンぐらいしか読んでないんじゃないかな。
と、さて。仕事の昼休みにお弁当を食べながら二階堂黎人氏の日記を読む。おもしろい。あ、ちなみに日記で書いていることがおもしろいってわけじゃない。いや、ある意味おもしろいと言えばおもしろいんだが。で、掲示板を見るとこれまたおもしろい。二階堂ファンらしき人までが批判的なことを書いているはなかなか凄い。いや、本当にファンかどうかは知らないけど。でまぁ、ちょっとはミステリ評論めいたものを書くこともあったりなかったりする人間で創元推理評論賞に恥ずかし気もなく原稿を出した立場からするとミステリー評論っていわれるものほど曖昧なものはないと思う。いや、いい加減というべきか。各自が各自、本を読んで言いたいことを言っているだけ。根拠も論拠もどこにもない。って、これは決して批判ではなく事実を述べているだけ。その理由だがミステリー評論というのは突き詰めると文学評論であり文学研究のいちジャンルということになる。つまりは文系の学問だ。で、文系の学問てのは理系のようにはっきりと結果が出るものではない。「○○ではないだろうか」あるいは「○○だと考えられる」というのが限界。研究方法次第では誇大妄想以外の何物でもないということも多々ある。僕の専門は仏教学なので文学の世界のことはよくわからないが一人の作家を取り上げて論じる場合、その作家が読んだ作品を−影響を受けたか否かは関係なく−全部読むということは最低限必要だろう。で、その読んだ作品からまた派生して読まなくてはいけないものがいっぱい出てくるだろう。
とまぁ、まとまりのない文章だがミステリー好きのyou-じゃなく文系の研究者のyou-として見た場合ミステリー評論というか本格推理小説評論てのはかなりいい加減だと思えるという話。もちろん僕が大好きな法月さんの評論も笠井さんのものも。ということです。