さて

今日は仕事で某有名寺へ。日本中のひとで知らない人はいないんじゃないかというぐらいの有名なお寺。京都に観光旅行に来たらほとんどの人がよるんじゃないだろうか?というところ。なんですが、僕は今日初めてそこに行きました。仕事なので有名な石庭も見ていませんが、これで一回は行ったと言える。いや、別に誰に言うわけでもないけど。
さてネタがない。連日、遊んでいるのにネタがない。さて、こういうとき今は便利だ。ワールドカップのことを書いておけばいい。とはいえ最近、試合は全然見ていない。いや、見たいけど生活のリズムを無理矢理崩してまで見ると言うタイプの人間ではないので遅い時間の試合は見れない。で、次は準々決勝ぐらいか?まぁ、ここまで来るとどこが勝ってもおかしくないだろう。しかしその中で優勝チームを一チームあげるなら、そろそろ諦めて、アルゼンチンだろう。これでたぶん次のドイツ戦には負けるんじゃないだろうか?根拠も理由もない。ただそんな気がするだけ。じゃあ、本当に優勝するのはどこかっていうと、やっぱりアルゼンチン。
と、何気なく4年前の今日の日記を読んでみた。それから何日か遡ってみた。当時の、自分にしかわからないことがいくつか思い出せた。で、2002年6月28日はこんな事を書いていた。

少しまじめに。
ミステリで探偵は絶対者である。その探偵の示す解答こそが絶対である。読者は完成した作品を享受する立場であるからそのことを盲目的に信じ受け入れるしかない。これが基本的な立場だと思う。しかしどんなものにでも必ず例外はある。この場合も同じで読者が探偵の解答に疑問を持ち違う推理手順で違う解答に行きついてもいい。
で、何が言いたいのかというと本来、作中の探偵の解答を受け入れることしかできないはずの読者がそれに反旗を翻すというのは、今流行の(流行っているのだろうか?)双方向型じゃないだろうか?
すべてのテレビが芸能人といわれる特権階級の人々のみの場から一般人が参加することが普通になり質の低下を招いた。

結局のところ何の結論もなく文章を書くと破綻をきたし、結論がかけなくて困るということがわかっただけでも今日の日記には意義がある。
駄文にお付き合いいただきありがとうございます。