おいおい

仕事帰りにバイクに乗ってい走っていた。いつも通り車の横をすり抜けていると突然、窓から何かがにゅっと出てきた。びっくりしてよく見ると犬だった。人間なら絶対に許さないが犬なら許す。犬のすることならだいたい何でも許す。そう犬好きです。
さて、何を書こうかな。うーん、よし、最近『DEATHNOTE』ばっかり読んでるのでデスノートのことでも書くか。きっかけは忘れたが読み始めてみたのが数年前。さて、内容云々はどうでもよくってその設定の妙ってのを考えてみよう。ちなみに以下で作中の内容に触れます。嫌な人、読まないでください。

何が凄いって、僕の目指すミステリーの完成系に近いのが凄い。何かって言うとまず月側は死に神とか名前を書くだけで殺せるノートとか非現実的なもののみで人を殺していく。それに対してLは現実に即した推理を積み重ねていく。もちろんご都合主義な点も多々あるのは事実だがそれでも”そこに書かれているものをただ読み進めていくことしかできない“読者にとっては、まぁ、許容範囲内のものだろう。つまり充分、論理的だといえる。
で、何が言いたいのかというと常々、ミステリーは限りなく現実に即していなければならない、ギリギリまでリアリティーを追求しなければならないと思っている。しかしその一方であり得ないような殺人現場が多々、現れる。これはしかたのない話なんだが、物語の中心に”現実にはあり得ない殺人“があるからこそ、一層、中心部以外はリアルでないといけないと思っている。で、デスノートなんだがまさにこれに忠実と言える。中心の殺人に関してはこの上なく非現実的だ。そのため、いかにして殺したかということはまったく無視して推理は進む。推理の目的はただ一つ。誰がキラか、だ。このことからわかることが一つ。例えばミステリーで殺人がいかに非現実的−例えば超能力で殺すとか、宇宙人が犯人とか−であってもその殺人事件が現実の事象として現れている限りそこに論理による推理がは入り込む余地はあるのである。
なんか話がずれたがつまり、推理部分が論理的であれば後は少々めちゃくちゃでもかまわなくって、そういう作品の方がおもしろいと思うし好きだというのが僕の個人的な意見でそういう作品を書きたいんだがなかなか難しいのが現実。とりあえずリハビリとして何か書いてみよう。か、書いてみよう・・・。やっぱ根っから書くのが好きじゃないんだろうな僕は。アクセスアップのために。

DEATH NOTE (9) (ジャンプ・コミックス)

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