やっぱり

昨日の続きになるのだが、「ハーバード白熱教室 in Japan」の中で、過去に犯した罪の謝罪はすべきか(大意)ということについて、議論が行われた。謝罪すべきだという意見と、する必要はないという意見があった。さて、この問題、仏教だったらあっさりと解決する。
もし目の前に毒が塗られた矢が刺さって倒れている人がいたらどうするかという話をされた。この矢がどこから飛んできたのか、誰が飛ばしたのか、塗られている毒の成分は何か、なぜこの人は毒の矢で射られたのか、そういったことを議論しても意味はない。大切なのはまず、看病すること治療することだと、お釈迦様は言われた。
日本は戦後何十年にもわたり、中国や韓国に謝罪してきた。それでも許されていないのなら、それは謝り方を間違えてるんじゃないだろうか。まずすべきは、過去の罪をゆるしてもらうことで、ぞのためには無意味に謝罪しても意味はない。
もっとも、"アイツラ"はどうしたって許すつもりはないだろう。おそらく日本という国を明け渡したとしても。ただそれならそれで、どうすればいいのか最善の策を練るべきで、やはりただ謝り続けているだけでは、何の進展もない。