今日も今日とて

魍魎ネタ。
この作品を読むのは−前にも書いたと思うけど−10年ぶりぐらい。しかもただ10年ぶり、というわけではない。当時の僕は確かミステリー初心者だったと思う。大学一回生のゴールデンウィーク前に『姑獲鳥の夏』を知り暇をもてあましていた大学生は本屋へと走る。そして読了後、既に発売されていた『魍魎の匣』を購入。その後、『狂骨の夢』、『鉄鼠の檻』と読む。確か鉄鼠を読み終わった直後に運良く『絡新婦の理』が発売されたんじゃなかったかな。
とにかく、有栖川さんとか綾辻さんとか法月さんのさくひんを読むのは京極作品よりも後のこと。だから当時の僕はミステリーとは何かまったくわかっていなかった。いや、まぁ、今もわかっていないと言えばまったくわかっていないんだけどね。
だから今回、読み終わったら本格推理小説的観点からこの作品をとらえてみた場合、どういったことが言えるのかということ考えてみたいと思う。まぁ、単に思うだけで実際にそれを実行に移す必要はない。あ、でもうまくいったらあれの原稿にできるかも・・・。