べた

明日は土曜日。しかし仕事。数ヶ月に一回ある研究会の手伝い。まぁ、実際にすることはほとんどなくって最初の準備と最後の片付けさえしておけば後は何をしていてもいい。明日は京極さんの新刊を読む予定。あるいは講義の発表が近いので予習をするかな〜。
さて、今日はちょっと違う方向からミステリーについて考えてみる。今、新喜劇ボンバーというのを見ている。たぶん関西でしか放送していないと思うが、簡単に言うと吉本新喜劇で出演者が若手芸人中心というもの。で、その舞が温泉旅館。ただその温泉旅館のセット、つい先日の新喜劇でもまったく同じものが使われていた。関西在住だけに吉本新喜劇ってものには子供の時から触れている。実際に見に行ったことはないんだがテレビでならたぶん三桁は見てるんじゃないかな。でさて、この新喜劇なんだが毎度、毎度、同じことが繰り返される。この人が出てきたらこれを言う、こうボケるというのが全部決まっている。だから一、二度見るとだいたいそれで充分、のはず。しかし上記の通り三桁は見ている。これは決して僕個人に限ったことではない。関西人の多くが同じなんじゃないかな。これこそべたの強みなんじゃないかと思う。来ると思っていたものが確実に来ることによる安心感と快感。これぞ名人に名手無しに通ずるんじゃないかな。で、ミステリーなんだがまだ、検討中ではあるが王道というかベタが見つからない。これとこれとこれがあればべたなミステリー、あるいは本格推理小説というものが見あたらない。もう少し正確に言うとすべてがあってもいいしなくてもいい、というもので絶対条件を決めることができない、と僕は思う。べたがない。これは思った以上に厳しいかもしれないな。