ワールドカップまっただ中で、これからおもしろい試合も増えてくる。我がアルゼンチンは予想に反して好調で、次戦のドイツ戦に勝てば、もしかすると優勝? なんて思えてくる。でもその後、おそらくスペインに勝って、これまたおそらくオランダに勝たなくてはいけない。なかなかにきつい。
さて、連日、ワールドカップのニュースが報道される中、時折、今大会の日本代表の戦い方は日本サッカーの発展に寄与しない、というようなものを目にする。僕はサッカーを専門的にやったことがないので、戦術面等、詳しいことはわからない。そんな素人考えだと、がっちり守ってカウンターという戦術ではダメだということだろうか。
さてここで問題となるのは、発展という言葉が何を意味するかだ。日本人という人種にアフリカ系の人々のような身体能力を求めるのは、無理な話だろう。遺伝子レベルで変わることが日本サッカーの発展ではない。となると、南米やヨーロッパのように、突出した選手が出現することなのだろうか。これもまた違う。そういう選手がいることは重要なことだが、しかし一個人の能力と日本サッカーの発展はまったく別の話だ。どれほど優れた選手でもいずれは衰える。もちろん継続して、優れた選手が出てくるというのは、理想的だろう。
思うに、日本サッカーの発展というのは、より日本人にあった型を見つけることではないだろうか。そしてその型をしっかりと各選手が身につける。誰が代表に呼ばれても、すぐに順応できる。だから、今回のワールドカップはむしろ意味があったんじゃないのかと思う。日本人には目を見張るようなテクニックも身体能力もない。しかしいいところがないわけではない。日本人の長所を生かすシステムの構築をし、それを深めていくことが発展につながるんじゃないかと、素人ながら考えた。
そんなわけです。