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気になるニュースを発見。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090505-00000047-jij-int
何が気になるのかというと、なぜ、タイ仏教界が苦悩しているかってこと。タイは上座部仏教の国。そのため、2500年前に決められた規則を守っている。その規則で、同性愛者の出家は認められないとなっていたはず。だから、何故、苦悩しているのか、また同性愛者が出家しているのかってのが、わからない。
誤解の内容に書いておくと、同性愛者差別をしているわけではない。仏教が同性愛者の出家を認めていないのには、もちろん、ちゃんとした理由がある。
そもそも、現在の日本人には想像できないだろうが、お坊さんというのは、出家者だ。出家とはその字の通り、家を出ること。つまり、現在のあらゆる物を捨てて、家を出て、お坊さんになることだ。この際、もちろん仕事もやめる。じゃあ、何故、すべてを捨てないといけないのかというと、出家するのは悟りに至るためだ。ここで言う悟りとは、輪廻からの解脱であり、簡単に言えば、もう二度と生まれ変わらないことだ。
悟りを開くためには、修行が不可欠。この修行が日常生活と平行しては行えない。なので、すべてを捨てて、修行のみに打ち込む。ただ、いくら修行のみに打ち込んでいてても、そこは人間。お腹が空く。お腹が空くと、やはりご飯を食べなくてはならない。出家者は仕事はしていないし、生産活動に従事することも、認められていない。それどころか、お金に触れることさえ、認められていない。そこで、どうするかというと、人から食べ物をわけて貰う。こうして、日々修行のみに打ち込み、生活をする。
さて、この生活のキーポイントは何か? 人から食べ物を貰って生活を成立させるってことだと思う。逆に言えば、何も貰えないと生きていけない、ということになる。
ここでひとつ、よく間違えがちなことがある。現在から見ると、仏教は世界宗教のひとつだ。でも、2500年前はいわば、新興宗教のひとつ。そのため、そう簡単に誰からでも、食べ物がもらえたというわけではない。
話を戻すと、食べ物をもらえるためには、くれる人から尊敬されないといけない。これは、個人でもそうだし、仏教という団体でもそう。
それで、原文を確認していないんだけど、話によるとその昔、同性愛者を受け入れたら、周りの者に淫らな行為を迫ったので、周りの一般人から「仏教修行者は同性愛者だ」と批判されたそうだ。つまり、一般人からの信用を落とした。一般人からの信用を落としたということは、日々の食事が得られないということに繋がる。だから、同性愛者の出家を禁止した。

長々と書いてしまったが、つまりはそう言うことなんだから、なぜ、タイ仏教界は苦悩しているんだろうか? やっぱり時代のせいで色々と問題が生じているんだろうか。
ちなみに、これでも一応、まじめにインド仏教、特に律ってのを専門的学んだ人間です。