ストーリー性

山倉さんのところに面白いことが書かれていた。書くネタも決めていなかったのでちょうどいいと飛びついてみました。まぁ山倉さんは心の広い方なのでネタをパクってもお怒りになられないでしょう。
で、映画やゲームにおけるストーリー性とは何かということなんだが、山倉さんはこれを自由度と定義されている。しかし自由度ではちょっと無理があるのじゃないかと僕は思う。映画や小説はもちろん、ゲームもやはり自由度が低い。選択肢の自由はあるがしかしその選択肢は用意されたもののみ。ギャルゲー(決してエロゲーではない)で「ここでこう言えれば最高なのに、それが選択肢にないからしかたがないからこのセリフで我慢しておこう」とか「何で、このセリフだと怒るんだ?」という経験をしたことがあるのではないだろうか?少なくとも僕はある。
詰まるところ、製品として完成しているものにはそれが映画であれ小説であれゲームであれ自由度というものはあまりないのではないかと思う。じゃあ、それならストーリ性は何なんだ?お前はどう考えるんだ?と怒られそうなのでそろそろ自分の意見を書こう。
思うに、映画にしろ小説にしろゲームにしろそれなりの代価を支払っているわけだ。で、その代価に見合うだけの−たとえ一瞬であっても−熱狂が得られるかどうかがストーリ性だと思う。こういうとそれは人それぞれで価値観が違うという話になるだろうが、しかしそれでも高品質の作品には万人が熱狂する部分というのが少なくとも一箇所はあるはずだ。だからこそ漠然とした答えではあるが「のめり込めるかどうか」、つまりは面白いかどうかがストーリー性なんじゃないかと思う。
どうでしょうか、山倉さん?